「能力は『ステ振り』で決まる」
わたしはそう思っています。
「ステ振り」って?
「ステ振り」とはゲーム用語で、「ステータスにポイントを振り分ける」の略です。
ロールプレイングゲームや軍事シミュレーションゲームでは、キャラやユニットのレベルが上がるとポイントがもらえ、それを「攻撃力」や「回避力」などの能力値に振り分け、ステータスを成長させていくという育成システムがあり、振り分ける行為を「ステ振り」と呼びます。
▼こんな感じ
人の能力開発も「ステ振り」と同じ
わたしは人の能力も「ステ振り」で決まると考えています。
コミュ力がある人は、一定のポイントを「コミュニケーション能力」に振り分けた結果。
英語を使いこなせる人は「英語」に一定のポイントを振り分けた結果。
という感じです。
▼こんな感じ
「普通の人より優れている」レベルまでであれば、このステ振りによって能力を鍛えられるという考えです。
(「人よりずば抜けている」レベルまで行くには「向き不向き」や「才能」という変数と、振り分けるための膨大なポイントが必要になるとは思っています。)
ポイントは必ず何かしらの能力値に振り分けられる
たまに「何でこんなこともできないのか」と言う人がいますが、「ステ振り」理論を基に考えていると、そんな発言をすることはありません。
なぜなら、ポイントは必ず何かしらの能力値に振り分けられているからです。
例えば、簿記の仕訳ができない人がいるとします。その人が簿記の仕訳をできない理由は、これまでポイントを他の能力値に振り分けてきたから。ただそれだけです。
簿記の仕訳能力が必要なら、今からポイントを振り分けていけばよいだけです。
能力に優劣はない
能力というと経済的、社会的に利益を生み出す力のように思われるかも知れませんが、文学に詳しいことだって立派な能力です。
簿記の仕訳能力は「簿記の仕事をしている状況」に限り有用であり、文学を語らう場では使いどころがありません。文学に詳しい能力はその逆。
「簿記の仕訳能力はお金を生み出せるから文学に詳しい能力より価値がある」という意見があるかも知れませんが、お金を生み出すことに何の価値があるのでしょうか?そもそも価値ってなんなのでしょうか?
そこまで考えると、能力に優劣などなくなります。どんな能力も、人生で得られる経験の1つに過ぎません。
その経験を掘り下げているか否かがポイントの数です。
それをある状況における価値基準だけで、優劣を付けるなんてナンセンスとしか言いようがありません。
まとめ
わたしが簡単にできることができない人は、わたしにはできないことが簡単にできます。
その事実は忘れずにいたいです。
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