エッセイ

自己啓発は自然な行為か?

「自己啓発は、人間として自然な行為か?」

学生時代に持ったこの問いについて、ちょっと考えてみます。

問いを持ったキッカケ

わたしはいわゆる「意識高い系」の大学生でした。

2年生の時からコンサルタントの下でインターンをしたり、GTD本や7つの習慣などのビジネス本や自己啓発本を読んでスキルアップに努めていました。

しかし、何がキッカケだったか覚えていませんが、ある日、自分のこの行為に嫌悪感を覚えるようになりました。

「自己啓発本を読んで自分を奮い立たせなければ、足が前に出ない状態は、果たして人間として自然な状態と言えるのか?」

「本当にやりたいことであれば、自己啓発本など読まずとも、どんどん足が前に出るのではないか?」

自己啓発本で、自分で自分の尻を叩きながら前に進むことに虚しさを覚えたのです。

大人になった今、この問いに答えてみる

ちょっと大人になったので、この問いへの今の段階での答えを考えてみます。

「人間として自然」とは

「人間として自然」とはどういうことか。

そんなことわかりません。

こんな答えの出ないことを考え始めた時点で、ハマるのは目に見えてます。

答えを出さずに言うのも何ですが、そもそも「人間として自然」だから何なんでしょうか?

「人間として自然」であることが必ずしも善いこととは限りません。

絶対達成したい目的なら手段なんて選んでいられない

「人間として自然」かどうかなんてどうでもいいことです。

大切なのは、「ゴール=自分が本当にやりたいこと」かです。

問いを持った当時、頑張ってスキルアップしようとしていましたが、その目的は端的に言えば「就職のため」でした。

もちろん、働いてみたい業界に行くことがゴールでしたが、「その業界に死んでも行きたいか?」と聞かれたら、返答に躊躇する程度の熱意でした。(まぁ就活の時なんて、そこまでの覚悟を持てるわけもないのですが)

その程度の熱意だったから、ゴールを達成するための「手段」の善し悪しについて考えてしまっていたのです。

もし目指すものが自分が本当にやりたいことだったならば、有効な「手段」であればその内容の善し悪しなど考えずに、どんどん実行していたでしょう。

まとめ

自己啓発はゴールを達成するための一つの「手段」でしかないのです。

それが必要だったら使えばいいし、不要だったら使わなければいいだけです。

それよりも、「ゴールは人生を賭けて取り組みたいことなのか」が重要なのです。

もしあなたのゴールがそうでない場合、わたしのように自己啓発で疲弊してしまうかも知れませんよ。


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