エッセイ

本当に「モノの見方を変えることによりすべて解決する」のか?

“精神を健全に保つひとつの方法は、対極の思考を身に付けること。

すると、現状が悲惨でも対極の見方ができてストレスがなくなる。結局はモノの見方の問題。”

という話はよく聞くし、確かに正しい。

しかし、もう一歩踏み込んでみる。

様々なモノの見方を身に付けることにより、自分の好きなように現状を捉えることができるようになったとしても、自分の理想とする状態があるはずである。

対極の思考は身に付けられても、対極の理想を同時に持つことはできない。

その理想と現状が乖離していたからこそ、当初、ストレスを感じていたはずである。

その理想と現実のギャップを埋めない限り、決して根本的な解決にはならない。

「モノの見方を変えることによりすべて解決する」という考えは、アナタの当初の理想を別の理想にすげ替えて、現状とのギャップがなくなったように「見せかけている」だけだ。

当初の理想が本当の理想ではないなら問題ない。しかしそれが本当の理想であった場合、モノの見方を変えることによりその場を乗り切ったとしても、後から「こんなものは求めていた理想とは違う」と苦悩することになる。

理想とは、「自由意志を持った人として生きる」ために最も大切なものだ。理想とはアナタそのものだ。

「モノの見方を変える」という手法は、万能薬ではない。あくまで一時的にストレスを軽減する痛み止め、道具の一種と捉え、自分の理想に忠実であれ。