「イド♂さんのねらいは?」
大学生の時にインターンでお世話になった社長の言葉。インターン課題であった企業研修の内容考えることだった。社長に案を見せる度に、このように問われたことをよく覚えている。
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「受講者に○○を持って帰ってもらう」というねらいがあり、それを達成するために研修内容を考え、研修を実施する。
人生における他の活動でも同じだ。
何気ない会話ひとつ取っても、「自分の話を相手に理解してもらう」というねらいがあり、それを達成するために言葉を発する。
「外国人の友達を作る」というねらいを達成するために、英単語を覚える。
「朝4時に起きる」というねらいを達成するために、夜10時に寝る。
そして、ねらいを達成すると快(こころよ)い。
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ならば話は簡単だ。
1日にできるだけ多くのねらいを達成すれば、その日に受け取れる「快」は最大となる。
話を量に限定しているのは、人は原則、わざわざ質の低い「快」を選択しないという前提からである。
ここでの質とは当人にとっての「快」の度合いであり、社会的尺度は用いない。
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「快」の最大化に話を戻す。
「快」はねらいを達成すると得られる。
つまり、1日あたりの「快」=1日あたりのねらいの数×達成率となる。
1日に張り巡らせられるねらいの数を限界まで増やし、その達成率を上げるために、わたしは24時間タスク管理をし続けている。
そこには何の崇高な目的もない。ただ「できるだけ快くありたい」という人間が獣だったときからあるであろう原始の欲望に忠実なだけだ。
わたしは決して自制して生きているのではない。欲望のままに生きているのだ。
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「それはあなたにとってComfortable(快い」か?」
これも冒頭の社長の口癖だった。若い頃に受けた影響は大きいというお話。