どんだけ残業を否定するのかって感じですが、今回も徹底的に否定します。
自分が過労死した場合の会社の反応をシミュレーションしてみる
わたしが残業をしまくり、過労死したと仮定します。プライベートの時間も睡眠時間も削って、社内外からの依頼に対応した結果です。当然、周囲からの評価も高いです。
社内外の関係者にわたしが過労死したということが伝わりました。みんな、わたしを評価してくれていたので、「そうか。残念な人を亡くしたな」とか、「あの人、対応良かったのに残念だなぁ」とか思ってくれます。
でも次の日には、みんな日常に戻ります。組織を回すには、感傷に浸っている暇はなく、わたしが抜けた穴を埋めるための行動策を次々と実行していかなければならないからです。それにいつまでも亡くなった人のことを考えていては、自分が生きていけなくなります。未来に向かって生きていくのが正しい人間の姿です。
わたしが死んだとして、多分こんなものです。仕事仲間との親密度によって、周囲のお通夜ムードが続く期間は多少変わると思いますが、ある程度の規模の会社のサラリーマンなら、誰もがこんな感じのシミュレーション結果に落ち着くのではないでしょうか?
会社に命を捧げた結果がこの程度なら、いくら後悔してもしきれません。
もし死ぬ間際に同僚の誰かと話せて、「おまえはみんなのためによく尽くしてくれた!」と涙ながらに励ましてくれれば、多少は救われるでしょう。
しかし現実的に考えれば、突然死であれば死ぬ間際に誰とも会話できませんし、突然死でなくても死ぬ間際は衰弱してろくに話せない可能性が高いので、相手に「俺、みんなのために役に立ったかなぁ?」という問いかけもできないでしょうし、相手もまさかそのような言葉をわたしが欲していることには気付かないと思うので、この救いの実現可能性は低いでしょう。
結局、誰もわたし自身の死ぬ間際の後悔を救ってはくれないのです。
承認欲求の充足はそこそこに自己実現欲求の達成に注力すべし
マズローの五段階説の中に承認欲求というものがあります。具体的には「他者に認められたい」という欲求と「自己自信を満たしたい」という欲求です。
「他者に認められたい」という承認欲求を満たすために無理して働いても、上記のように死ぬ間際にこの欲求が満たされる可能性は非常に低いです。死ぬ間際には、自分の心の中だけで満たされているか否かの判断がつく「自己自信を満たしたい」方の承認欲求と自己実現欲求の充足度だけが重要なのです。
そのためには、自己実現欲求より低次の欲求は最低限満たすだけにして、自己実現欲求の達成に注力すべき、というのがわたしの考えです。 自己実現欲求を満たすために創意工夫し行動していれば、自己自信は後からついてきます。
まとめ
死ぬ時のことを中心に考えるというのは少し異質な考えと思うかもしれません。しかし、ゴールから逆算して考えるというのは計画立案の基本であり、人生のゴールは紛れもなく死ぬことです。
この急所を外していると、よくある「死ぬときに後悔する○のこと」を本当に後悔することになります。
自己実現欲求が満たされないのであれば、残業は拒絶すべきです。死ぬ時に後悔する可能性が高いから。