タスク管理のキホン

「自分への責任転嫁」のススメ~理論編~

この記事を読んで得られるノウハウと効果:「自分への責任転嫁」という状態とその作り方を知ることにより、システムによるタスク管理の理解を促進する。

前回、わたしはこう書きました。

物事を行う際に、わたしは関わっていないので、すべてをシステムのせいにできるのです。

「ちょっと何言ってるかわからない」と思われる方がほとんどだと思います。だって、どう考えたって物事を行うのは本人以外ありえないからです。

今回は、上記の状態に「自分への責任転嫁」という名前を付けて、この状態自体となぜその様な状態になれるかを説明します。

健全な責任転嫁

責任転嫁と聞くと、悪いイメージが浮かびますよね。他人に責任をなすりつけることなので、実際、良くないことです。

でも責任をなすりつける対象が他人ではなく自分だとしたら、それは健全な責任転嫁となります。誰にも迷惑をかけないのですから、超健全です。

では、その様な状態をどのように作り出すのでしょうか?そのカギは「過程」と「成果」にあります。

「自分への責任転嫁」の仕組み

タスク管理のシステムは私自身です。

安心して下さい。頭がおかしくなったわけではありません。

もう少し説明を加えると、「私を私たらしめているのはタスク管理のシステム」ということです。

意味がわからないという方のために、「過程」と「成果」という概念を使ってさらに詳しく説明します。

1. 自己を「過程」と「成果」で再定義する

人間を定義する方法は色々ありますが、わたしは自分という人間を「過程」と「成果」の2つの言葉で定義します。

「過程」と「成果」

「過程」とは、何かしらの行動を意味します。「過程」には、ジュースの自動販売機にコインを入れて、欲しいジュースのボタンを押すという短期の行動から、資格勉強をするという長期の行動まで、すべての行動が含まれます。

「成果」とは、「過程」の結果です。自販機の例で言えば、ジュースそのものとジュースを入手するまでの「過程」の経験です。資格勉強の例で言えば、合格した場合、手に入れた資格、合格したことによる自信、そして合格に至った「過程」の経験です。不合格だった場合は、不合格に至った「過程」の経験です。

わたしは私自身は上記の「過程」と「成果」2つで構成されていると考えます。

感情も「過程」と「成果」から作られる

「感情はどこに位置するの?」

良い質問です。感情も上記のプロセスを通して生成されるとわたしは考えています。

「成果」の一つである「過程」の経験が人の感情を作るのです。

感情とは何か

そもそも感情とは何でしょうか?

わたしは自己にインプットされる事実を、フィルターを通して解釈した結果が感情と考えます。

図で表すとこんな感じです。
フィルターと感情・分析
外界から「何か」が自己にインプットされます。インプットされた状態ではその「何か」は何の意味も持ちません。わたしたちは、その「何か」に自分の中の第一のフィルターを通して自分なりの解釈を与えます。その解釈の一つが感情です。もう一つは分析です。第一のフィルターを通して生成されたものが第二のフィルターを通して、外界へのアウトプットへ変換されます。

自分の中のフィルターは「成果」によって作られる

そして、第一のフィルターも第二のフィルターも、「成果」の内の一つである「経験」によって作られるとわたしは考えます。

例えば、忙しい状況で新しい仕事を頼まれたとします。「新しい仕事を頼まれる」という自己へのインプットは、第一のフィルターを通るわけですが、タスク管理の「経験」がない場合、第一のフィルターはフィルターとして機能せず、「これ以上ムリ!なんで私だけこんな目に遭うの!」というストレスを伴う感情を生み出すでしょう。タスク管理の経験がないので、新しい仕事を分析することもしません。

ストレスを伴う感情は第二のフィルターを通ります。自己は、「ストレスを感じたら、ドカ食いすれば解消する」という、ストレスを伴う感情に合ったフィルターをそれまでの「経験」から用意します。それをくぐった感情は、実際に外界でドカ食いをするというアウトプットに変換されるのです。
フィルターと感情・分析_例1
違うパターンも見てみましょう。タスク管理の経験が豊富な場合です。その場合、同じ「新しい仕事を頼まれる」というインプットでも、タスク管理の経験から用意されるフィルターを通して、感情は「はいはい、またですか」と、面倒くささは感じつつもそれほどストレスを伴わないものとなり、経験から新しい仕事の質と量の分析が行われます。それらの感情と分析が、「仕事の質と量を基に予定を組み替え、仕事をこなした経験」から用意されるフィルターを通り、予定を変更するというアウトプットへ変換されます。この場合は、ストレスは大したものではなかったので、解消のためのアウトプットを行う必要はなかったようです。
フィルターと感情・分析_例2
この2つの例はわたしの実体験です。つまり、フィルターは「経験」によって作られるだけではなく、「経験」によって変化するのです。

「過程」が人を作る

感情と分析は「成果」の中の「経験」によって作られるという話をしました。つまり、感情と分析は「成果」によって作られるのです。

他者から見た場合、その感情と分析からのアウトプットの集積がその人の人格になります。つまり、人格は「成果」によって形作られるのです。

それでは「成果」は何によって作られるのか?

すでに説明した通り、「成果」は「過程」によって作られます

つまり、「人を人たらしめている人格は『過程』によって作られる」というのが、わたしの最終的な結論です。

2. 「過程」と「成果」どちらが自己本体か

わたしがバシッと結論づけたので、「なるほど!『過程』がメッチャ大切なんだな!」と思われているかも知れませんが、話はこれからです。

あれだけズバッと言っておいて何ですが、わたしの本体は「過程」ではなく、「成果」にあります

「過程」がなければ、何も始まらないのは確かですが、「過程」はあくまでも過程なのです。「『過程』→『成果(経験)』→フィルター→アウトプット→人格(アウトプットの集積)」のフロー図から見ても、人格に近いのは「成果」なのので、「『過程』と『成果』、どっちが本体か?」という問いの答えは、「成果」なのです。

ここが「自己への責任転嫁」のミソになります。

3. 「過程」を自己から完全に切り離し、責任を転嫁する

わたしは、「過程」をタスク管理システムに任せています。「成果」という私自身はそのままに、「成果」を作り出す「過程」は外注に出しているようなものです。

だから、何かに失敗しても、失敗に至った「過程」の経験は「成果」として私自身に残りますが、失敗の原因は「過程」の外注先、タスク管理システムにあり、同時に責任もタスク管理システムに属するのです

だから、謝るときも「(外注先が粗相をして)申し訳ございません。」ってな感じです。

「いやいや、外注先であるタスク管理システムを組んでるのはあなた自身なんだから、責任はあなたにあるでしょう!?」

一理あります。しかし、失敗に繋がったタスク管理システムを組むというアウトプットは自己のフィルターを通して出てきたものであり、そのフィルターは「過程」から生成されるものなので、やはり「成果」である私自身に責任はないのです。

ここまで言い切れるようになるには、自己と「過程」を完全切り離してる必要があります。言い換えると、己のすべての行動をタスク管理システムにゆだねていれば、この様な心理状態に持って行けると言うことです。

まとめ

「屁理屈ばかりこねるんじねぇ!」って?

自分でもそう思います。最後の方を書いてる時なんて、「こいつムカつくなw」と、思わず笑いがこみ上げてきました。

しかし、わたしはこうやって公開してしまったのでもうダメですが、この「自分への責任転嫁」を身に付けて、なおかつ口外しなければ、あなたは誰にもバレることなく、ほとんどの失敗のダメージをスルー出来ます

ロスなく効率よく前に進むためにはこの「自分への責任転嫁」という方法。オススメです。

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